脳死・経済死・知能死
臓器移植法の改正をしようとしているようですね。
ますます、「生きているべき人」と「死んじゃってもいい人」を明確に区別しようという方向に進めようとしているように見えます。そもそも、「脳死」ってどういう状態を言うのか?、本当に間違いなく判定できるのか?、というレベルでも議論があるのに、どうしてさらに敷居を下げようとするんでしょうね。
「脳死を一律に人の死とする。脳死の拒否権は認めない」ってなんて乱暴な。だって医者によって脳死かどうかの判定なんて変わるでしょう? そもそも提供者が少ないから、増やせるように法律を変えようというのは、実際には本当に死んでいると断定して問題ないのかどうかのグレーゾーンにいる人間を、法律上死んでいることに決めた!、とし、さらには基本的に本人は移植に同意とみなすところから始めよう、ということですよね。
「脳死になった本人がドナーカードをもっていない場合、「臓器移植に自己決定して死んだ」ものとみなし、家族の承諾があれば移植できるようにする。 」ってのはさらにひどいですね。ならば、ドナーカードの反対に、「臓器移植に同意しない」ことを示すカードを同時に作らなくっちゃ。
「親権者の承諾があれば、意思表示のない十五歳未満の脳死の子どもからも移植ができるようにする」というのもまるでSFですね。自分の子供なら、親が決定して内臓取り出していいとは。
法律が「死」の判定基準を下げてしまう。これは恐ろしいことです。なぜなら、その気になればいくらでもハードルは下げられるからです。
●一定水準以下の経済的生産力を発揮できない成人は、経済的に死んだも同然であるから、これを新たに経済死と定義し、拒否権は認めない。
●一定水準以下の知能しか発揮できない成人および小人は、知能的には死んでいるも同然であるから、これを新たに知能死と定義し、拒否権は認めない。
●一定水準以下の容姿に生まれついた者は、外見的には日本人として存在しない方が良い存在であるから、これを新たに容貌死と定義し、拒否権は認めない。容姿の判断は所轄省庁の大臣が認定するものとする。
どんな楽器や電気製品がビンテージかを大臣が判断するくらいなので、放っておくといつの間にか、「あれ?、オレ今日からは生きてるのに大臣許可がいるんだっけ!」なんてことになりかねないなあ。
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