秋葉原無差別殺人を生み出したもの
週末の秋葉原歩行者天国を襲った無差別殺人事件は衝撃的だった。これからしばらくはさまざまな余波を生みそうな事件であり、使用されたナイフの規制に関する報道も目立つ。その一方、実行犯を生み出した環境についてはまだ多くは語られていないように思う。
マガジン9条に連載されている、雨宮処凛がゆく!というコラムの第57回にて、秋葉原の無差別殺人事件を取り上げている。同氏の著作「生きさせろ! 難民化する若者たち」の他、「雇用融解—これが新しい「日本型雇用」なのか」風間 直樹 (著) 、「労働ダンピング—雇用の多様化の果てに」中野 麻美 (著) といった書籍を見てみれば、派遣労働者として工場に勤務するという生活の過酷さをイメージできるかも知れない。
だとするならば、私たちは悠にあと100万人ほどは、自暴自棄になっても一概には責められないような過酷な生活を送る人々を生み出していることになる。このツケは誰が払うのか。利益を上げた企業か。安い製品を喜んで買った消費者か。このような労働市場を生み出した政治家か。その政治家に投票した有権者か。
異常犯罪・猟奇事件というのは、社会から見ればガン細胞に似た突然変異にも思える。しかしガンも結局は本人の身体が生み出したものである。また病気である以上、それは他の病気と同様、宿主に対する危険信号である。「このままの生活をしているとヤバいぞ」と無理やりストップを掛けているものなのだ。そして、ガンは切り取っても直らない。生活自体、生き方自体を変えるしかないのだ。
2008.06.14 追記
秋葉原通り魔殺傷事件(その9)「加藤の乱」就職氷河期世代の叛乱→追記あり(天漢日乗)
私のエントリでは、刊行されている単行本情報から想像される事情を書いてみたのだが、上記blogでは企業広報やネット掲示板からの情報も含め、さまざまな声が記録されている。掲示板への書き込みについては信憑性100%とは思わないが、政治・日本社会・地域社会・職場などに絶望した人間が突発的にテロ行為に走ったとしても理解できる、と感じる人が多いことはどうやら確かなように私には思える。
年間3万人が自殺し続けているというのが今の日本の状況である。これが本当に社会に絶望してということだとしたら、年間3万人が国会議事堂前で焼身自殺するようになる日も遠くないのかも知れない。ただ、地方から東京にくる旅費がすでにないという可能性も高そうだ。今までは自分を責めて孤独に死んでいた人々が、無差別に隣人に当り散らし始めているのが近年の特徴だとすれば、次は一揆・革命・テロとも予想できる。
ただ・・・・何があっても人間は人間を殺してはいけない。
それが人類共通の歴史的教訓ではなかったのだろうか?
けれど、ベルトコンベア式に法務大臣が死刑執行している政府では、仮にそう言ったとしても説得力は生まれないだろうな・・・。
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